文章を書かないといけないと思った。
僕が大学に入ってからtwitterを始めた。
高校生時代からの友達と一緒にデュエルマスターズというはカードゲームを趣味で始め、twitterはデュエマの情報を集めるツールとして始めた。
その後デュエマは辞めたけれど、その時々ではまっている趣味の情報を集めるツールとして使ってきた。
ポケモン、サイクルロードレース、麻雀、PUBGなど僕のtwitterのフォロー、リムの履歴からそのとき何に興味をもっていたかが窺えると思う。
19のときにtwitter始めてもうすぐ7年たつが始めたときからずっと思っていたことがあり、それは「情報を受けるツールとしては便利で面白いけど、情報を発信するツール、他人と交流するツールとしては苦手だな」ということだ。
苦手の中身を詳しく説明すると
- 自分が言いたいことを完結にまとめる、面白く言う、オチをつけるのが苦手、言いたいことと相手に伝わる言葉にするときに相手に伝わる
- 自分がフォロワーにとってどう見えているのか、どう見られたいのかという自分のtwitter内でのキャラクターや立ち位置が分からない、定められない
- 自分が言いたいことを発信したところでフォロワーにとってほしい情報なのかという不安
- 2と3が合わさって「自分がどう見られたいか」と「フォロワーが何を発信して欲しいがっているか」の格差が生じることへの懸念
つぶやきたいことリプしたいことがあってもこれらのことが頭の中でぐるぐるとまわって、その結果「まぁつぶやかなくてもいいか」となっていた。
気づくと情報を発信する・他人と交流するという役割は諦めて他人が発信していることを一方的にながめるツールになっていた。
7年間twitterを見る専として使ってきたが、依然問題として発信したいことがあるが発信するのは苦手な状況は変わってない。
この文章を読んだ人にはそんな難しいこと考えることじゃないじゃんって思う人もいると思う。
僕もその通りで実際にやってみると案外簡単なこともあると思うし、何も考えなくてもうまくできる人もいると思う。
でも、もともと人とコミュニケーションをとること全般が苦手なのでそう考えるとコミュニケーション全般に苦手意識をもっているんだと思う。
自分の考えを話す、文章にする、発表するとかが苦手でそういうのが上手い人、センスがある人が当たり前にできることができない。
話は変わるが長年twitterを眺めていて思っていたことがある。
それは「絵を描く、文章を書く歌を歌うなどのセンスを必要とされる作業を仕事にしている人も努力している」ということだ。
スポーツ選手や楽器を演奏する人が技術の維持・向上のために努力しているのは知っていたけど、絵がうまい人は生まれ持ったセンスで絵を描いてると思ってたし、漫画家や小説家は自分の持ってるセンスで頭に浮かんだことをそのまま出力していくといい作品を作れるんだと思っていた。
才能ある人はいい作品を作るために死に物狂いで努力してるんだなぁって思った。
自分が満足できるものを作るために必死に頑張っている。
僕はセンスはない。
でも、だからってそれが自分が頑張らない理由にはならないのかなぁと。
上手くなりたいなら失敗しながらでもすこしずつやっていくしかないんだと思う。
今年で26になってやってみたいこと、上手くなりたいこと、欲しいスキルはいろいろとあるけど欲しがってるだけでは何時までも手に入らなくて、手に入れるためには何か始めてみる以外にないんだと思う。
そして、上手くなりたいことの1つが自分の考えを言葉にできるようになりたいんだったら文章を書き始めるしかないのないんだと思う。
実際に最近考えていたことをこの記事に書いてみてやっぱり難しいなぁと印象だけどそれでもすこしづつでもやっていこうと思う。
できれば、週1ぐらいで更新できたらいいなぁと思うけど最悪広告が出ない程度に更新していこうと思う。
すごく冗長な文章に最後までお付き合いくださりあいがとうございました。